校長便り 6月号

あなたは、挨拶やお返事を、気持ちをこめて言えていますか。必要な時には、心から 「ごめんなさい」 が言えるでしょうか。

和気藹々の楽しい授業が続く、良い子たちばかりの補習校ですが、時々ちょっとした理由で、誰かが泣いたり、ケンカになったりする事があります。

先生方は、起きたことはその場で解決しようと、理由を聞き、何がいけない事だったのか確かめた後、「ごめんなさい」と言える気持ちになれるよう、当事者に話します。

子どもの、ケンカに至る不満は、大人になって思い起こしてみると、ああ、なぜあんなことで、意地をはったり、ケンカをしてしまったりしたのかなあと思えるような理由が殆どだと思いますが、子供時代には、その些細なことがとても大事なのです。子どもは、その性格をわがままだ、と表されることが、間々ありますが、それは仕方のない事でもあります。なぜなら、大人に比べてまだ世間も狭く、行動範囲も狭く、経験も少なく、従って、視野が狭く、その狭い中での判断しかできないのですから。但し、思いやりなく人を、心でも体でも傷つけたら、それは、大人や教育者、保護者が注意し、理解できるように諭すべきです。

海外では、交通事故の場合など、ソーリーと言ったら、自分の非を認めることになり、言った側が修理費を払わないといけないので、絶対ソーリーと言ってはいけない、と聞きます。日本との大きな文化の違いですね。もしくは、文化の違いの怖い面の一つだと思います。とはいえ、何でもかんでも、すみません、申し訳ない、ごめんなさい、と、言葉だけで言って、心がこもってなければ、それもまた問題です。心のこもっていない「ごめんなさい」は、相手を一層腹立たしくさせます。

海外生活を始めて更に気付いたことの一つは、相手に不利な事をしてしまった場合に、「アクシデントだったから」 とか、「これこれがこうだったから、だから、そのせいで・・・」 などの、いわゆる言い訳が良く聞かれるという事です。大人の場合でも学校で見る子供たちの間でも、謝る前にこの、「悪気はなかったんだから」とか、「理由があって仕方なかったんだから」 とは、しばしば耳にする機会があって、余り良い気分がするものではありません。これらも、自己主張の強い国の文化と言えばそうなのでしょうが、大人でもこの傾向の多いのは、自己正当化、つまり、我儘な、狭量な子供のまま成長してしまった気がするのは、私だけでしょうか。時代のせいもあるかもしれませんが、それにしても、国のせい、文化のせいでなく、どこの国でもどの時代でも、気持ちの良い人は育つのですから、個々の家庭の躾、もしくは教育が大きい影響を与えているのではと、大いに感じます。

相手を少しでも傷つけてしまった時の、「ごめんなさい」だけでなく、 「はい」という返事も、イヤイヤながら言うのは、もしくは言わないのは、それが言い合いなりケンカなり、叱られて泣くなり、という事態につながって行ってしまいます。結局することは同じであれば、気持ちよく「はい」と返事ができれば、相手も気分が良いし、自分自身もそこで一歩、高尚な自分になれた気がするのではないでしょうか。

勉強中、「さあ、これこれをしましょう。」 と声を掛けると、たまに 「え~~(やりたくない)」 などという声が聞かれる場合があります。他の先生方に聞いたことはありませんが、私個人はこの返事に対して厳しく叱ります。叱られると生徒は 「しまった!ノリティを怒らせてしまった。」というような表情で、真面目に勉強を始めますので、叱られたことで、詰まらなくなったり、却って腹が立ったりせず、理解してくれて、きちんとしなくちゃ、と思ってくれていると信じます。多分、「え~」 と言っても、本気ではなく、甘えで言ってみたい時もあるのでしょう。 本人が「しまった!自分がいけなかった。」 と思う事が大切です。思ってもらえるような叱り方がコツです。 

さてあなたは、お母さんに何かするよう言われた時、「え~今これやってんのー」とか、返事をしない態度とかを取ることがありますか。何か言われたら、まず、「はい」です。 そしてどうしてもすぐできない様なら返事の後に、「今これこれをしているので後でいいですか?」と聞くべきです。また、お母さんは、「お母さん、お母さん。」と呼ばれた時に「今忙しいの。」とか「あとで。」または返事をしないことがあるでしょうか。もしそうでしたら、子供はそっくり真似することでしょう。

まずは、「はい」。 そして、ついうっかりでしてしまった失敗でも、悪気がないのだから仕方がない、ではなく、最初に 「ごめんなさい。」 もちろん、意識して意地悪をすることは、言語道断。 意地悪をすると、気持ちがすっきりするでしょうか。人に意地悪をすると、相手が気分を害するばかりか、実は意地悪をした自分自身こそ、とても気分が悪いのではないですか?

そう考えられる能力が、人間に与えられた、知性であり、教養であると信じます。

6月号