校長だより 文月 2015

 

                 

この四月から、小学部の教科書が改訂されたことは、皆様ご存じの通りです。 改訂に当たっては、何年も前から、多くの教育関係者が、時代に合った最新の情報を取り入れながらも、温故知新、現在ができるに必要であった歴史を踏まえた内容を検討されている事でしょう。大変な作業とはいえ、教育者にとっては、楽しい、また羨ましい作業とも感じます。

教師用指導書は、所謂赤本と呼ばれていますが、中にびっしりと、指導法、注意点が赤文字で書かれ、値段も高額です。大人の知識として、漢字や計算は知っていても、これらの内容を年齢の低い子供たちに教えて行くという技術は、一つの特技と言っていいかもしれません。この技術を養うために、我々教師たちは十代から教育者になる事を意識し、学生時代に、各科目の知識の他、心理学、児童心理学、教育心理学、教育学、教育倫理、教育の歴史、日本国憲法、その他様々な教室運営に関する事項を学び、その後は学校勤務、もしくは塾で指導など経験を積んできました。

現時点で教える対象は、英語世界に住む、寧ろ、英語が母国語である子供たちです。更に、年間39回しか会えない子供たちに、二教科だけとはいえ、難解な日本語を国語として紹介していくには、担任は、その学年の毎週の授業のみでなく、前後の流れを考え、どう次の学年の学習につなげていくかまでの計画が必要になってきます。

どの学年にも言えることですが、その学年でよく理解できなかった学習は、その後上の学年に行ったからと言って、自然に解消するものではありません。 年齢が進んだために、理解力が上がって「あ、こういうことだったのか」と気が付くことも、中にはあるでしょう。 けれども、一年生の時に習得できなかった、カタカナ、漢字は、そのままにしておけば、更に忘れるだけで、三年生になったからと言って、急にできる物でもないのです。

低学年の内の学習は、殆どが日常必要な物事であって、基礎的な読み書き、日付や、曜日、時計の読み方、買い物の時の計算等、常識的な知識ばかりです。それを言うなら、義務教育中の学習はすべて日常に必要なことであって、それだからこそ義務教育という枠に入っているわけなのですが。これらは、英語日本語関係なく、当り前のように身についてなくてはならないものです。

さて、一年生の算数の指導書には、片隅に「板書例」というものまで掲載されています。普段は特に「例」に従って書くこともなく指導しているのですが、よく見るとその「板書例」に、日付が書いてあり、そこに、「4にち」「6にち」「14にち」 などの表記があり、大変驚きました。 

短い補習校の指導時間の中で、如何に効率的に、現時点での「正しい日本語」を聞かせていくかという事に気を配っている我々としては、「ら抜き言葉を使わない」「丁寧語で会話する」「正しい書き順・読み方」等、常に心がけています。 

日付の言い方や、モノの数え方(助数詞)、曜日や季節にしても、教科書に出てきたからその時学べばいい、教科書にない内は教えなくてもいい、ではなく、毎回の授業で取り上げていくことで、自然に身に着けて欲しい語彙です。とはいえ、39回しか聞けない場合もあるという、短い指導時間なのですから、例外を教えて、「こうも言うけれど、ああも言える」などと複雑なことを言っている暇もなく、ましてや1年生には、なるべくひとつですっきりする言葉を選んでいきたいという方針で指導しています。

「ついたち・ふつか・・・・」 の言い方は、一年生の国語の教科書(下)に出てきますが、これらの理由から、授業第一日目から既に導入しています。 最初はひらがなで書いた日付も、簡単な日常的な漢字は、生徒に書かせなくともまず、目に見えるようにもしています。 そのような指導を心掛けているところへ、指導例で、「ヨンニチ、ゴニチ、シチニチ・・・・」 と書かれていることに驚き、「教科書質問係」に、質問メールをいたしました。 

質問内容は、かいつまんで言うと、教科書(下)で、日付の(正しい)言い方を学ぶので、この日付の言い方は、児童に混乱を招くのではないか。 また、言葉は生きているので、もしや日本では、そういういい方も、許されるようになったのか、という点です。

「言葉は生きているので」とはつまり、最初に文法ありきではなく、自然と使われている言葉の中に規則性を見つけ、それを文法にしたという順番が、言語の本来の成り立ち方であり、文法には、たくさんの例外もあるからです。 

最近では、十の数え方で、これまで、「じっこ」「じっぽん」「じっかい」「じっさつ」 という読み方が文法上正しく、 「じゅっこ」「じゅっぽん」「じゅっかい」「じゅっさつ」は、東京地方の方言であり、(私はどっぽりこの方言で育ったわけですが)日本語指導では気を使わなくてはいけなかったところ、「じゅっぽん」と発音する傾向が一般的になったため、平成二十二年より、教科書にも、「じゅっ」 という読みの表記が認められた事実があります。

その内「ら抜き言葉」 も、文法の方を改められる日が来るかもしれません。現実はまだ教科書内で「ら抜き言葉」は、使用に至っていませんので、話し言葉や作文でも訂正しております。

ところで、先の、教科書質問係から、返信が来ました。 こういう表記をした理由は、一年生ではまだ、漢字・漢数字を習っていないから、ということでした。 具体的な説明として、『算数教科書として、算用数字は使用したい。従って、「4日」 という表記で、正しくは「よっか」 と読まず、漢数字を用いるとすれば、「四か」が、正しい。 それゆえ、4しか習っていない一年生には、「4にち」 と書くしか表記のしようがない。』 のだそうです。

それなら、ひらがなで「よっか」 と書けばいいのにと思うのですが、算数教科書として、どうしても算用数字を使いたかったのが理由でした。 しかしながら、教科書は世界中で使用されていること、日本語が必ずしも毎日聞ける状態ではない子供たちも学んでいることなどは、理解して下さったようで、『次回の(3年後の)改訂に際しては、考慮して参ります』とのお返事を頂きました。

言葉は生きています。日付の言い方で言えば、私は七日を「なぬか」 と習いました。今では、「なぬか」と言っている人は周りには誰もいず、私自身も、少しばかり違和感を感じながらも「なのか」と教えています。 

新しい語が増え続け、死語となる言葉も多々あります。 それでも、英語の世界では、ラテン語を学び、シェークスピアを学びます。高学年の皆さんは、シェークスピアの400年前程度の古語などものともせず、千年も前の古典文学で、その雅な音調に触れ、心豊かな時間を楽しんでいることでしょう。

会話でも書き言葉でも、言葉で意思疎通のできる人間として、言葉の意味や文法が変換していくとも、使われて心地よい言葉を大切にしていきたいものです。