作文紹介

大空の架け橋 2年生 第11号 2015年度

 

2年1組  担任: 長谷川るり子
 
2年生では文と文のつながりに気を付けて書く、つなぎ言葉を上手に使うという学習をしました。この大空の架け橋では、つなぎ言葉を使って将来の夢について書きました。
 
 
 

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『わたしのゆめ ケーキやさん』   安藤七海
 
わたしのゆめはケーキやさんではたらくことです。
なぜかというと、みんなをハッピーにしたいからです。
そのために、今は九九をしっかりおぼえたいです。
 
 
 
 
 
『わたしのゆめ デザイナー』    枝木フィオーナ
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わたしは大きくなったら、デザイナーになりたいです。
なぜかというと、自分のすきなようふくをデザインしたいからです。
そのためにアートのおべん強をたくさんしようと思います。
 
 
 
 
 
『わたしのゆめ 空手の先生』   フォーサイス百合夏
 
わたしは大きくなったら、空手の先生になりたいです。
なぜかというと、空手が大すきなので、小さい子どもたちに教えたいからです。
そのためにはずっと空手をやって黒おびをとることです。 ゆめにむかってがんばりたいです。
 
 
 
 
 
『わたしのゆめ ファッションデザイナー』   フォード景都
 
わたしは大きくなったら、ファッションデザイナーになりたいです。 なぜかというと、おようふくを見ると、もっとすてきにするアイデアが、どんどん出てくるからです。 その時わたしは、とてもわくわくします。 おようふくのことを考えることがすきです。
デザイナーになるために、ファッションの学校へ行きたいです。 そのために 今からたくさん おべんきょうをします。 日本語もがんばります。
 
 
 
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『ぼくのゆめ けいさつかん』    平家翔太
 
ぼくのゆめは、けいさつかんになることです。 なぜならけいさつかんは 平わを守るからです。
けいさつかんになるためには 強くなって、ルールをかんぺきにぜんぶまもれるように がんばらないとだめです。
 
 
 
 
『ぼくのゆめ まん画家』   ジョイス陽翔
 
ぼくは大きくなったら、まん画家になりたいです。 
どうしてかというと、まん画はすごくおもしろくて、読むとたるーくかんじるからです。 
まん画家になるためには、そつぎょうしてからも 絵をもっときれいにしたいです。
 
 
 
 
 
『わたしのゆめ アーティスト』   モール海七
 
わたしはアーティストになりたいです。 
なぜかというと、アートが大すきで、とても楽しいからです。
アーティストになるためには、アートの先生が教えてくれるテクニックをつかって、絵をたくさんかこうと思います。
 
 
 
 
『わたしのゆめ 先生』    オーランド美波
 
わたしは大きくなったら先生になりたいです。 
なぜかというと、人にべん強を教えたいからです。 
そのために、いっぱいべん強をしたいです。
 
 
 
 
 
『わたしのゆめ 小学校の先生』    佐々木梨奈
 
わたしは大きくなったら小学校の先生になりたいです。 
なぜかというと、わたしは学校が大すきだからです。 
それから、わたしを教えてくれた先生が、すごくやさしくておもしろくて大すきだからです。
先生になるためにはいろいろな科目のべん強を一生けんめいがんばりたいと思います。 
そして、みんなとなかよくして、楽しくすごしたいと思います。
 
 
 
 
『ぼくのゆめ こん虫はかせ』    シンプソン丈
 
ぼくは大きくなったら、こん虫はかせになりたいです。 
なぜかというと、ぼくは虫が大すきだからです。 
こん虫はかせになるために、虫のことについていっぱい本を読んで、虫のべん強をしようと思います。
 
 
 
 
『わたしのゆめ 先生』    スミス桜
 
わたしは大きくなったら、先生になりたいです。 
なぜかというと、先生たちはかっこよくて、かしこいからです。
先生になるために、いっぱいしゅくだいをします。
 
 
 
 
『わたしのゆめ 小学校の先生』    高田そら
 
わたしのゆめは小学校の先生になることです。 
なぜかというと、たんにんのベリー先生が大すきだからです。 
ベリー先生はおもしろくてとてもやさしいです。 
いろいろなことをわたしたちに教えてくれます。 
わたしはベリー先生のようになりたいです。
 
 
 
 
『わたしのゆめ メディカルイグザミナー』    武内アリス
 
わたしは大きくなったら、人のちをけんさする人になりたいです。 
なぜかというと、けんびきょうつかったじっけんがすきだからです。 
そのために、算数をがんばります。
 
 
 
 
『ぼくのゆめ プロゴルファー』    泉コナー
 
ぼくは大きくなったら、プロゴルファーになりたいです。 
なぜかというと、子どもたちがプロゴルファーになれるように教えてあげたいからです。
 
 
 
 
 
 
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 2年2組  担任: 永易暢子
2年生では文と文のつながりに気を付けて書く、つなぎ言葉を上手に使うという学習をしました。この大空の架け橋では、つなぎ言葉を使って将来の夢について書きました。
 
 
 
 
板東 龍豪
 ぼくは、大きくなったら何になりたいかまだ決められていません。
 ハンバーガーやチップスがすきなので、マクドナルドに行くとそこではたらきたいなと思います。
今あるメニューをぜんぶ食べて味をおぼえます。そして、もっとおいしい味になるようにけんきゅうしたいと思います。
 サッカーせんしゅにもなりたいです。ボールがゴールに入るととてもいい気分になれるからです。ぼくよりじょうずな人がいっぱいいるので、サッカーチームに入ってもっとれんしゅうをしたいと思います。
 あと、べんりなものを作る人にもなりたいです。ドラえもんを見ていて、ぼくもいろいろなものを作ってみたくなったからです。だから、学校でテクノロジーのクラスに入りたいと思います。
 
 
 
 
 
ビゴ ありさ
 私は、大きくなったらハムスターカフェをやりたいです。
なぜかというと、ハムスターが大好きだからです。
そのためには おいしいケーキやごはんや のみものを作れるように頑張りたいと思います。
 
 
 
 
 
坂本 鷹
 ぼくは、おとなになったら あたらしいフェラーリをつくる人になりたいです。
 どうしてかというと、車がだいすきだからです。
 
 
 
 
 
ヒルズ ジョシュア
 ぼくは、大きくなったら じゅういになりたいです。
 なぜかというと、ぼくはどうぶつがすきだからです。
 そのためには、いっぱい おべんきょうをして、どうぶつがびょうきのときにせわをします。
 
 
 
 
 
堀野 佑朱
 わたしは、大きくなったらアートの先生になりたいです。
 なぜかというと、わたしは絵をかくのがすきだし、アートを子どもたちに教えることはとても楽しいことだ と思うからです。
 そのためには、アート教室にかよってアートをべんきょうして、いろんな絵をかいてみるのがいいと思います。すきな絵をまねしてかいたり、頭で考えた絵をたくさんかきます。
 そして、先生になれるようにほかのべんきょうもがんばります。
 
 
 
 
 
モローニ 美月
 わたしは、学校の先生になりたいです。
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 なぜかというと、わたしも先生たちのように、みんなといっしょに考えたり、
知らないことをしらべたり、あそんだり、こまっている人をたすけてあげられる先生になりたいからです。わたしは学校が大すきだし、色々なことを教えてくれる先生たちを、すごいなと思います。わたしも先生になって、みんなと色々なことをシェアしたいです。
 そのためには、大学に行って たくさんべんきょうして、しょう来 すてきな先生になれるようにがんばりたいです。
 
 
 
 
 
中村 匠
 ぼくは、大きくなったら パイロットになりたいです。
 なぜなら、いろいろなくにに 行きたいからです。
 でも、ぼくにはまだ どうやったらパイロットになれるのかわかりません。
だから、ぼくはたくさんべんきょうをして 答えを見つけます。
 
 
 
 
 
岡本 悠梨夏
 わたしは、大きくなったら どうぶつのおいしゃさんになりたいです。
 なぜかというと、わたしはどうぶつのことが大すきなので、びょうきやけがをしたどうぶつをたすけたいからです。
 そのためには、いっぱいべんきょうをして、どうぶつのめんどうをみたいです。
 
 
 
 
 
大屋 らら
 わたしは、大きくなったら じぶんのお店を出したいです。
 お菓子、おもちゃ、ジュース、お水、おようふくをぜんぶうります。
 そうするとお金もたまって、いろんなものがいっぱい買えます。
 そして、みんながしあわせなかおになって、わたしもハッピーになります。
 
 
 
 
 
清水 咲良
 わたしは、大きくなったら 人をたすけるおいしゃさんになりたいです。
 なぜかというと、おとうとが生まれて一か月 毎日びょういんに会いに行った時、
おいしゃさんが いろいろな人をたすけていたのを見たからです。
 そのためには、いろんなことにチャレンジしたり、いっぱい本を読みたいと思います。
 
 
 
 
 
 
シュッツ 開
 ぼくは、大きくなったら テレビのしかいをする人になりたいです。
 なぜかというと、ぼくの大すきなグラントデニャーが いつもしあわせそうなかおをしているのを見ると、
ぼくもうれしい気もちになるからです。 ぼくもゆう名人になって、自分のアイデアでばんぐみを作りたいです。
 そのためには、たくさんべんきょうして、もの知りになって、だれとでも話ができるようになりたいです。
 
                 
 
 
                       
 トーピー 海偉
 ぼくは、大きくなったら恐竜博士になりたいです。
 どうしてかというと、ぼくは恐竜が大すきだからです。今までに恐竜はたくさん見つかっています。
でも、みつかっていない恐竜もまだいるかもしれません。
 そのためには、たくさん勉強しなくてはいけません。
 
 
 
 
 
山岸 もこ
 わたしは、大きくなったら先生になりたいです。
 なぜかというと、いろんな生とに会えるからです。
 そのためには、べん強をもっとがんばって はっきり大きな声で話すようにしたいです。
 
 
 
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吉田 真優
 私は、大きくなったら びようしになりたいです。
 なぜかというと、人のかみの毛を切って よろこんでもらいたいからです。
 そのためには、美容師の学校に行って、どうやって人のかみの毛がきれいにきれるか 調べたいと思います。 それから、かみの毛を じょうずにむすぶ れんしゅうもしたいです。
 私は、さいきんみつあみができるようになったので、こんどは あみこみができるようにがんばりたいと思います。

大空の架け橋 3年生 第11号 2015年度

 

 文集テーマ「たから島のぼうけん」  担任:ウォリス依子
 
 3年生は、「たから島のぼうけん」をテーマに物語を作成しました。
 2人の登場人物の名前とキャラクターを設定するところからはじめ、だれが、いつ、どのようにしてたからの地図を手に入れ、たからまでたどり着くのか。たからを手に入れるまでにどのような困難があって、それをどのようにして解決するのか、といった個々のアイディアとインスピレーションが詰まった作品になっています。特にたからの中身はユニークなものばかり!
 さらに、”物語は「はじめ」、「中」、「おわり」の3つの段落で構成されている”という、授業で習ったことを念頭に作成され、コンピュータ入力まで生徒一人ひとりが手がけました。大作になりましたね!
 
                  

 

 「たから島のぼうけん」  えとう あきら
 
 夏の日のお昼、アキラとマサキは牛にゅうを買いにお店に行きました。いつもお店にいるおじいさんが、自分がしっぱいしたたからさがしのミッションをふたりにしてほしいと言って、地図をくれました。おじいさんはお金がないけど、ヨットだけ持っていて、自分のヨットをボーイズにかしてくれると言いました。
 
ボーイズはおじいさんをかわいそうと思って、ミッションをすることにしました。
 
 次の日、ふたりはヨットで海に出ました。三時間でたから島を見つけました。すぐ夜になって、ふたりはキャンプをしました。
 
 次の日の朝、たからさがしのミッションを始めました。歩いて行くと、ゲートがありました。ヘビがゲートを守っていました。アキラはバックパックの中にネズミのおもちゃを持っていたので、それをなげました。ヘビはおいかけて行きました。
 
 ふたりはゲートの中に入りました。橋があって、むこうにたからものが見えました。けれど、ワニが橋を守っています。マサキは空手が上手だから、ワニに空手のパンチをしました。ワニは気ぜつしてしまいました。ふたりは橋をわたって、たからものを手に入れました。
 
 たからものはお金とネックレスとおめでとうの手紙でした。ボーイズはミッションが楽しかったし、たからものを見てハッピーになりました。ふたりはおじいさんに全部たからものをあげました。おじいさんはとてもよろこんで、ふたりに百ドルずつくれました。
 
 
 
 
「こわい、たから島のぼうけん」ファーリントン らら
 
 「次は、タワー・オブ・テラー。」
 「オーケー。」
 
 「あ、ごめんなさーい。わたしの名前は、ららでーす。そして、わたしの妹の名前は、さなです。」
 「このお話を聞いてください。」
 
 学校の帰り道、二人は海の近くに行って、砂でかくされた、たから島の地図を見つけました。
「これ何。」さなが聞きました。
「たから島の地図だと思うよ。」ららが答えました。
二人は、さっそくお父さんの船に乗って、そのたから島へ行きました。二日かかりました。
 
 たから島に着いたら、すぐ前にある道にそって歩き始めました。ずーっと歩いていると、トラの道と、火山の道がありました。ららがどちらに行くか考えている時、さながトラの道に行ってしまいました。
ららが知らないで歩いていると、火山がばく発して、びっくりして見回すと、ファイアーガールに会いました。
「あなたの妹は、トラの道へ行っちゃったよ。」
ららが、
「バレエ大会をして、わたしがかったら、さなを助けに行くわよ。」
「わかった。」ファイアーガールが答えました。
 
 「かった。かった。」ららが言いました。
終わったら、ららはすぐ地図を見て、トラの道にそって歩きました。
五分たってトラを見ました。さながトラの下で食べられそうでした。トラがさなをおそいそうになった時、ららがさなをおんぶして、火のこが落ちてくる道を走って、たからの方に行きました。
 
 そして、たからを見つけました。
開けた時、チケットがありました。読んでみると、日本にただで行けるチケットでした。
その後、二日かけて、家に帰りました。
家に着いたら、ママとららとさなで日本に三週間行きました。
 
 
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「たから島のぼうけん」 ハセット 澄海
 
 
ある日の朝、ジャックとジルはクッキーのお店に行きました。大きなクッキーを買って、ガジッとかんだら、クッキーの中からたからの地図が出てきました。二人はさっそく、たからさがしの旅に出かけました。
 
 ハッピー島に着いて、二人はゴリラの道の方に歩いて行きました。しばらく歩くと、とつぜん、ゴリラがおそってきました。ジャックとジルは、こわくて動けませんでした。すると、金色のまほうのトンボが出てきて、ゴリラに金色のこなをふりかけました。このまほうのこなは、ゴリラをフェイントさせるためでしたが、こうかがありませんでした。トンボはゴリラに負けてしまいました。
 
 その時、ジルは昔おばあちゃんが教えてくれた、ゴリラをねかせる子守歌を思い出しました。ジルがおそるおそる歌い始めると、ゴリラはすやすやとねむり始めました。そのすきに、ジャックとジルはどんどん進んで、たからの部屋にとう着しました。
 
 じつは、たからものとは「十さいわかくなる水」でした。
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その水をジャックとジルがお母さんにあげると、
お母さんは十さいわかくなって、とてもよろこびました。めでたし、めでたし。
 
 
 
 
 
「こわいたから島」 ヒールズ ケイン
 
 日曜日の朝でした。はるととすみれのママがゴミを捨ててくださいと言いました。ゴミばこのふたをあけたら、たから島の地図をみつけました。
 
 はるととすみれは、たから島に行きました。たから島についたら大きな森がありました。森のまん中ぐらいについたらすごく大きなへびが見えて、へびがはるととすみれをおいかけました。へびがはるとの足をかみました。「いたい」「はるとだいじょうぶ?バンドエイドいる?」「ありがとう」すみれがかばんの中からバンドエイドをだしました。それから、すみれがへびをやっつけました。土をへびになげたらへびがいなくなったのです。たからはダイアモンドのネックレスでした。たからをもって帰りました。
 
 そのあと、いつもすみれはでかけるときにネックレスをつけるようになりました。それを見たはるとは、「ぼくのたからものもほしいなぁ。もう一回たから島に行きたいなぁ」と思いました。
 
 
 
「楽しい宝島の大ぼうけん」  石井陽菜
 
 春休みのある日、そうこでいちごとあおいが箱を見つけました。箱を開けると宝島の地図がありました。さっそく二人はその宝島へボートで向かいました。
 島についてしばらく歩いていくと、大きな太い木がたおれて道をふさいでいました。二人がどうやって登ろうかと考えていると、大きな岩がものすごいスピードで転がり落ちてきて、木にぶつかってわれました。
 「このわれた岩で階だんを作ろう。」
と、あおいがいいました。
「いいかんがえだね。」
と、いちごが返事をしました。
二人は、大急ぎで岩をつみ始めました。そして、階だんがくずれる前にふたりは、大急ぎで登りました。
 その後、一本道をすすんで目的地にとう着すると、シャベルがおいてありました。いちごとあおいはそのシャベルを使って、土をほり始めました。どんどんほっていくと、金色の小さな箱がありました。
 その場所で開けたかったけれど、いちごとあおいは宝をなくしたくなかったので、開けるのをがまんしておうちまで帰りました。
 
 家に帰ってから、いちごとあおいが宝箱をあけたらビックリ!!、宝箱の中には、いちごが好きなみかんが入っているロールケーキがすごくたくさん入っていました。
 
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「たから島のぼうけん」  木村 友香
 
夏休みのある日、ミカとクレアは近くの海岸を一緒に歩いていました。ミカがヤシの木の根元にキラキラと光るボトルを見つけると、クレアが中に入っていた「たから島の地図」と「小さなカギ」を取り出しました。二人はさっそく、たから探しの旅に出かけました。
 
島はジャングルでとても暑く、ミカは早く帰りたくなりました。でも、クレアがどんどん先に進むので仕方なく歩きました。大きな切りかぶを見つけたので、お昼にしました。
 
二人でおにぎりを食べていると、どこかから「にゃー、にゃー」とかわいい猫の鳴き声が聞こえてきました。
 
「タコウインナーあるよ!」と、ミカは声のする方へ一つ投げてみました。すると今度は、「にゃーん」と、聞こえました。「おにぎりもあるよ!」と、クレアも一つ投げてみました。
 
しばらくすると、「がるるー!」と大きなタイガーが出てきました。「おにぎりはウメだよ!」と、ミカはクレアにさけびました。二人は、最後まで取っておいた甘いたまご焼きを置いて、全力で走ってにげました。
 
気が付くと川岸を歩いていました。そのまま川上へ行くと、きれいな湖に着きました。
そしてついに、ぷかぷかと浮いているたから箱を見つけて、地図と一緒に入っていたカギで開けました。
すると、ルビー・ダイヤモンド・オパールなどの宝石が入っていました。その中でも、特に光っていたのは、黄金の羽根でした。それを二人が手に取ると、見つけた宝物と一緒に、ぼうけんを始めた海岸まで、空を飛んで帰ることが出来ました。
 
「お弁当の箱、置いてきちゃった…。」と、ミカは言いました。
「次は宝物じゃなくて、お弁当箱を探しに行こうね!
クレアはニヤッとしました。
 
こうして二人は、仲良くお家に帰りました。
 
おわり。
 
 
 
「宝箱のぼうけん」  小嶋 流穏
 
 ちくわくんは、とんこつちゃんの家へ一緒に遊ぼうと思ってさそいに来ました。
「とんこつちゃん、遊ぼうよ。」
「ごめんね。今日はお母さんのたん生日のケーキを買いに行く用事があるから遊べないの。
ちくわくんも一緒に行く?」
「うん。」
二人はケーキを買いに行きました。
「あ!ちくわくん、道に何か落ちているよ。」
二人は宝の地図を見つけました。
二人は宝物を探してお母さんにプレゼントする事にしました。
 
 地図見ながら歩いて行くと、森の中のでこぼこした道にさしかかりました。
「何かが出て来そうな感じがするね。」
「そうだね。」
その時です。  木のかげからゴリラが飛び出て来ました。
「ガー、おまえら美味しそうだなぁ。食べちゃうぞ。」
「キャー。」
 
 二人はゴリラに食べられてしまいました。
真っ暗なゴリラのお腹の中で二人はとほうにくれてしまいました。
ちくわくんはまわりがどうなっているか手探りでたしかめてみました。
そして、まわりがボコボコしている事に気がつきました。
「とんこつちゃん、これならロッククライムが出来るかも。ぼくのせなかにつかまっておいて。」
「うん。」
ちくわくんはゴリラののどを登って口まで来ました。
「口が開けば出れるのに。」
「そうだ。」
と言ってとんこつちゃんが鼻の中をコチョコチョくすぐりました。
ゴリラは「や、やめてく、くれー。ハ、ハ、ハ、クション!!!」
ふたりはゴリラの口から飛び出しました。
ゴリラのお腹から出た二人は「よかったー」とほっとして、走ってにげました。
 
 「とんこつちゃん! 見て見て! ゴリラのお腹の中から宝箱を持って来たよ。」
二人は宝箱を開けてみました。
宝箱の中には、りゅうと、とってもおいしそうなケーキが入っていました。
二人はケーキを持ってりゅうのせなかに乗り、家に飛んで帰りました。
 
  「お母さん、たん生日おめでとう。」
みんなで楽しくとんこつちゃんのお母さんのたん生日パーティーをしました。
宝箱に入っていたケーキもとってもおいしかったです。
 
 
 
「たから島のぼうけん」  三浦 獅悠
 
 ある春の日、ぼうけんずきのひろしくんは川に行きました。
「ああ、きもちいい」と言いました。
かえろうとしたとき、木のえだにたから島の地図がささっているのを見つけました。
 
 「わああ、地図だ」と言って、たかくんのお家に行きました。ついたとき、たかくんはおやつがおわったところでした。
「へえ、地図かあ」とたかくんは見ながら言いました。
「さっそく行こう」と言って、二人は水と食べものときゅうきゅうばこをもって行きました。ボートでたから島へむけてこぎました。くらいみちです。
「こわいよ」とたかくんは言いました。
「だいじょうぶだよ」とひろしくんは言いました。
「ガガオー」と言うトラのこえが聞こえました。
「今のなんだった?」と二人は言いました。トラがとび出しました。
「うわあ」とたかくんが叫びました。ひろしくんは、岩をころがしました。ドッカーンと岩がトラにめいちゅうしました。二人はまたあるき出しました。バアァーンと
 
火山がばくはつしました。
「うわ、にげろ」とたかくんが言いました。すごいスピードでにげました。
 
島中をあちこちさがして、やっとたからばこを見つけました。そして開けると大きな金色の玉がありました。
「すごい」と二人とも言いました。金色の玉をもってお家にかえると中、大金もちのおじさんに会いました。
「すごいなあ、その玉と百おく円をこうかんしよう」とおじさんがたずねました。
「うん」と二人ともこたえました。
そして、たかくんは五十おく円、ひろしくんも五十おく円もらいました。
こうして、たかくんとひろしくんはなかよくくらしました。
 
 
 
「たから島のぼうけん」 宮本  めい
 
  秋のある日、ダンスがとくいで元気いっぱいのめいと、がんばりやで元気いっぱいのりんが公園で、遊んでいました。すると、とつぜん空からたからの地図がおちて来ました。
  二人はさっそく、たからさがしの旅に出かけました。
  島に着いた二人は、人食いゴリラの道に入ってしまいました。すると、とつぜん人食いゴリラが現れました。
「ダンスを見た事がない。ダンスとは何だ。見せてみろ。」
ゴリラが言いました。ゴリラは、ダンスを見せないと道を通さないと言いました。めいは、
「わたしが見せてあげる。」
と、言いました。りんが
「いや。わたしがやる。」
と、はっきりと言いました。
「わたしの方が上手だからわたしがやる。」
と、めいがおこった顔で言いました。
「わたしがやりたい。」
と、りんがさけびます。二人はけんかになります。ゴリラは、かんかんになって、
「早くダンスをみせないと、食ってやる。」
と、おこりました。めいとりんはあせりました。おこったゴリラから二人はさけびながら走ってにげました。ゴリラには、それがダンスをしているみたいに見えました。
「すばらしい。ダンスはおもしろいな。」
と、ゴリラが笑いました。
「キャー。」
と、りんがさけびます。
「早くにげて。」
と、めいもさけびます。にげているうちに、もうたからのある場所に二人はいました。人食いゴリラは、いなくなりました。
 
たから物は、ほう石がたくさん入ったオルゴールでした。二人はオルゴールをもって町に帰り、まずしい人たちにほう石を一つずつくばりました。
  そして二人は町一番の大金持ちになり、町のみんなに美しいオルゴールの音楽を聞かせるのでした。
 
 
 
「たから島のぼうけん」  永田キャロル
 
 ある夏休みにかくされた森にキャロルとジョルジョというたんけんたいがいました。
 学校のせいそう時間にゴミばこでぼうけんの地図を見つけました。ほうか後、地図をもって、キャロルとジョルジョがいそいで、家へかえりました。そのぼうけんの地図は、いろいろなあぶないどうぶつとたたかって、たからものを手に入れることでした。さっそく、キャロルとジョルジョはぼうけんに出て行きました。
 
 やっとかくされた森に着いた時、いきなり大きなヘビが出てきて、 キャロルとジョルジョはたたかいました。キャロルとジョルジョのとくぎで、ヘビをやっつけました。ヘビはくたくたになって、たおれてしまいました。つぎは、ぶさいくゴリラでした。ぶさいくゴリラはすごく強くて、足が速くて、すぐキャロルとジョルジョにおいつきました。だけど、キャロルとジョルジョは、にげきりました。ぶさいくゴリラはつかれて、家に帰ってしまいました。どうぶつたちは、びっくりして、こわくなって、いなくなってしまいました。
 
 やっと、キャロルとジョルジョはたからを見つけ、はこを開けたら、世界で一番いい、文ぼう具と銀色のけんとあたらしいサッカーボールがでてきました。キャロルとジョルジョは、大よろこびでした。二人は、家に帰って、すぐ、学校の日記を書き始めました。それは、すごく楽しい、ぼうけんでした。
 
 
 
「たから島のぼうけん」 西野 きこ     
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 むかしむかし、おーきくんというへんなありの子がいました。おーきくんはある日、海のそこでたから島の地図をひろいました。そこにへん顔の、わにの子きゅうりに会いました。きゅうりはおーきくんを食べようとしました。でもおーきくんは、たから物をさがそうときゅうりをさそいました。
 
 おーきくんときゅうりは島に着いて、ごりらの道を歩きました。こわいごりらが、きゅうりの顔を見ました。ごりらは「へんな顔!」と言って、大わらいしながらにげてしまいました。
 次に、もっとこわいピンクのへびに会いました。また、きゅうりを見て大わらいしてにげて行きました。
 
 二人は、たから物を見つけました。中にいっぱいケーキが入っていました。全部一気に食べました。二人はなかよしになって海の中で一しょにくらしました。
お し ま い。
 
 
 
「たから島のぼうけん」 佐藤 太治
 
 ある土曜日の朝、かいとが家をかたずけている時に、ソファーの下で古いたから島の地図を見つけました。かいとは、親友のゆうすけをよんで、二人はさっそくたから島に行きました。
島に到着して、しばらく歩いていると、あれちの後ろにかくれていたピンクのタイパンが、かいとにとびかかってきました。ゆうすけは、かいとを助けようとしましたが、こんどは、へびはしっぽでゆうすけをつかみました。かいとはふるえながら、
「ゆうすけ! 
 
「ああ、どうしよう、どうしよう。」
 
と言いました。その時、かいとはポケットの中に何かが入っているとかんじました。
「あっ、ロープだ!でも、ロープなげは上手くないな。それでも、もうやるしかない。」
かいとは、ロープをふるえながら投げると上手くへびの首に入りました。へびは、いたくてさけびました。へびがにげようとしている間にかいととゆうすけはそそくさと走っ
てにげました。ゆうすけはかいとに、
「ありがとう。」
と言いました。
 また歩いていると、何かすなの上からとび出しているものがありました。ゆうすけが
何かとみると、たから箱でした!開けてみたら金とお金でした。かいとは、
「わあ、すごい。こんなにたくさんの金とお金は見たことがないよ!」
と言いました。
 
二人はたからを半分に分けてすぐに自分達の家に帰って、お金と金をお母さん達にあげ
ました。それで二人ともお金持ちになりました。
 
 
 
「たから島のぼうけん」 杉本 優太
 
 日曜日におじいちゃんのにわで、兄弟の優太とノアが土あそびをしていました。土の中からたからの地図が出てきました。二人はおべんとうを持って、たからの地図にのっている島に出かけました。
 島について、歩いていると長い川がありました。そして細くてこわれそうな橋もありました。橋の下には、こわいピラニアがたくさん泳いでいました。橋をわたらないとたからものを見つけることができません。
 かしこいお兄ちゃんの優太は、お弁当の中にチキンが、入っていることをおもいだしました。優太は、「ピラニアは 肉をたべるよ。」と言いました。運動ができる弟のノアが、「ぼくが、遠くまでチキンを投げるよ」と言いました。ノアは、川の遠くへチキンを投げました。すると ピラニアは、チキンのところへ行ってしまいました。
 
 二人は、ぶじに橋をわたり、ダイアモンドの入ったたからの箱を見つけて、いそいで家に帰ってきました。たからものは、二人のへやにかくしました。おじいちゃんには、たからの島であった話は、ないしょです。
 
 
 
「たから島のぼうけん」  トムソン海望
 
 夏休みのある日、だんごくんとちくわちゃんが公園からの帰り道、道路にきたないボロボロな紙がおちているのを見つけました。
だんごくんが拾おうとしたら、ちくわちゃんが
「あぶない!どくがあるかもしれないよ。」と注意しました。
「でもぼくはスーパーだんごを食べたら病気は全部なおるからだいじょうぶだよ。」と言って紙を拾いました。なんと良く見るとたから島の地図です。
「はあぁ、たからだ!」ちくわちゃんが地図をさしました。
「よし、行こう!」とだんごくんが言いました。でもちくわちゃんは、
「ちょっと待って、見て、おそろしい動物がいるよ。」と言いました。
「でもぼくはスーパーだんごがあるし、ちくわちゃんはちくわアタックがあるんだからいけるよ!」とだんごくんが言いました。二人は港へ行って、こっそり船に乗って、たから島に行きました。
 
 二人はやっと島につきました。でもちくわアイサイトを使ってたからがあるはずのところを見るとなんと、でっかい赤いゴリラがいます。
「よし、いまだ!!」とだんごくんがどっちもじぶんのパワーをゴリラに当てました。ゴリラは半分ちくわ、半分だんごになってしまいました。
「よし!じゃぁわたしはたからをとっていくから、だんごくんはだんごを食べといていいわよ。」とちくわちゃんが言ってからすぐに、だんごくんはだんごを食べ始めました。
 だんごくんがおなかいっぱい食べた後、「帰ろう。」と言って家に帰り、
二人でたからのハコを開けてみたら、なんと、またたから島の地図が入っていたのでした。
 
 
 
「たから島のぼうけん」  留畑 紗希
 
 ある朝、やさしい くみいとしあわせな やよいが森でたからの地図をひろいました。
 
 すると、大きな木がころがってきました。
「大きな木だー!!」ふたりはびっくりしました。
「くみい、横によけて!」
木はおちていきました。
 
 すると、木のおちたあとに小さいひかるダイアモンドが ありました。
「すごい、すごい」
くみいとやよいはおおよろこびしました。
                 ​​
 
「このダイアモンドでママにゆびわをつくろう」
 
 
 
 二人はゆびわをつくって、ママにプレゼントしました。ママは「ありがとう、うれしいわ」とよろこびました。ふたりも、うれしい気もちになりました。
 
 
 
 
 
          ​​
 
「たかおと さとこの たからさがし」  山崎 ベン
 
 ある春の日の午前、たかおとさとこは島に行きました。たかおはあるくことがすきで、さとこはたからさがしがすきです。二人でたからさがしをすることにしました。どんどんあるいて行くとワニがいました。二人はねているワニをおこさないようにワニの家の中をさがすとたからの地図を見つけました。
 
 二人はしずかにワニをおこさないようにワニの家をでようとしましたが、ワニがおきてしまいました。そのあと二人はワニにおいかけられました。そしてたかおのポケットに入っていたソーセージをなげるとワニはたべはじめました。二人はワニが食べているあいだににげました。見つけた地図をひろげて見ると何かあることがわかりました。
 
 二人はたからもののあるところまであるいて行きました。そしてあなをほると大昔のけんが出てきました。そのけんは金色でおもたいものでした。おもかったけれど二人は家にもってかえりました。そして二人のたからものにしました。

大空の架け橋 4年生 第11号 2015年度

                タンポポ野原
 
 
 
 
 
4年がんばり組 詩集「のはらうた」         担任: 鳥山夏子     
 
4年生では、詩集「のはらうた」の詩を参考に、野原の住人になりきって詩を作成しました。
①野原にはどんな生き物がいるか
②誰になるか
③どんな人か(様子、性格、気持ち、聞こえたり見えたりしているもの、思っている事、)
の順に話し合いを進めましたが、様々なユニークなアイディア・意見が出て、笑い声の絶えない授業となりました。
自分の考えをノートに記入した後、選んだものになり切って実際に詩を書き、話者の名付けも行いました。
意見交換時とは一転、水を打ったような静けさの中、想像力を膨らませ、長時間集中して取り組んでくれました。
何篇もの詩を書いてくれる人、休み時間中も詩を書き続ける人、もっとたくさん書きたい!と言ってくれる人の多い、大変活発な授業でした。
小さな詩人さん達の、個性豊かな素晴らしい詩集をお楽しみ下さい。
 
 
「朝顔」   あさのむらさき(坂東龍輝)
 
今朝 生まれた
私は 朝顔
きれいな 朝顔
だれよりも美しい 朝顔
 
毎日毎日 きれいになる
 
 
 
「しあわせ」   鳥空ちゃん(江藤咲愛)
 
私は鳥
いろいろなところへ飛びたいな
 
私はやさしいよ
あなたと私、友達になろう
 
川と緑の木が見える
いつもきれいなけしきで
しあわせ
 
 
 
「おれを見たら」   江藤くま太郎(江藤禄太郎)
 
おれは大きいぜ
おれはこわいんだぜ
おれのツメは長いんだぜ
 
おれを見たら
死んだふりをしてくれ!
 
 
 
「ゆらゆら、ゆらゆら」   ゆらゆら川ちゃん(フォーサイス沙理衣)
 
私の名前はゆらゆら川ちゃん
いつもゆらゆら流れてる
 
私は冷たいきれいな川
ゆらゆらゆらゆらすずしい音
 
ああ
毎日が
気持ち良い
 
 
 
「ぽかぽかか」   ねむ田ねこにゃん(川畑瑞希)
 
さらさらと
風が通っていく
 
ゆったりとゆったりと
気持ちよくなる
 
のんびりとのんびりと
ねむたくなる
 
青い空に花が歌う
こもり歌
 
 
 
「わたし、かめ」   緑子(キラコブスキー愛美)
 
海に住む わたし
やさしい わたし
気持ち良い わたし
 
静かな わたし
 
 
 
「やみの中」   ぴかやみちゃん(久保田悠夏子)
 
私は朝には目立たない
けれど夜にはぴかぴか目立つ
 
そうして仲間と
花火をえがく
 
 
 
「のろのろなまけもの」    のろ田なまお(マ風太)
 
おれ
ゴードンベールから
ケアンズまで行ったら
つかれて
つかれて
とちゅうで倒れた
 
車なのに
どほほほほ
 
 
 
「とんでとんで」    大空小鳥(モール 瑠月)
 
わたしは鳥
大空をとぶ
世界の空を旅していろいろ見る
きらきら光る海
大きな緑の山

大きな動物 小さな動物
楽しいよ!
 
 
 
「森の木」    木野みどり(仲里海亜)
 
小鳥は飛ぶ
そうしていつも
私にとまる
 
チュントコチュントコと歌う
太陽がきれい
朝がきれい
と歌う
 
ああ
小鳥が飛んで行った
さようなら
さようなら
小鳥ちゃん
 
 
 
「さかな組」    おかもとさかな(岡本梨有奈)
 
私たちは さかな
スイスイ
スイスイ
楽しいさかな
 
右にも泳いで
左にも泳いで
スイスイ
スイスイ
気持ちいい!
 
元気に元気に
遊ぼうね
 
 
 
「だれも知らない」  七色にじお(尾崎スカイ瑞貴)
 
ぼくは毎日 空の上
雨が終わると 出てくるよ
ぴかぴかふわふわ うかんでる
 
また地面を見たいんだ
でも
光っている時には
ぼくがどこにいるか
だれも知らないんだ  
 
 
 
「夜空の私」    ほしぞう(スタッチベリーティア)
 
夜空の星を 見上げたら
私のことが 見えますよ
 
私はキラキラ かがやいて
いつもみんなを 照らしてる
 
 
 
「元気な毎日」    飛び うお子(篠原美蘭)
 
私は楽しく海に遊ぶ
ぴしゃぴしゃ ぱしゃぱしゃ
元気に遊ぶ
 
私はとっても速く泳ぐ
スイスイスイスイ
きれいに泳ぐ
 
 
 
「かがやく私」   野ばらの野バッパちゃん(上田波音)
 
私は風とおどって
きらきらかがやく
赤は
私の一番熱い色
 
私の仲間の色は
ピンク、むらさき、黄色に白
みんなそれぞれ美しいけれど
私が一番かがやいている
 
私と仲間たちは
今日も風とおどって
きらきらかがやく
 
 
 
「私はつばめ」    空野つばめ子(オハロラン 友梨)
 
私は元気よく
空をコントロールする
私は毎朝
食べ物を持ってくる
どんどん
どんどん
毎朝仕事をする私
つばめはいそがしい

大空の架け橋 6年生 第11号  2015年度 

担任: ハセット聖子  

6年生は、教科書の『やまなし』をはじめ、授業で宮沢賢治の作品をたくさん読みました。賢治の作品は、どれも想像力豊かで美しい描写が印象的です。賢治の世界をすんなり理解するのは子供たちにとって容易なことではありませんでしたが、その中から一冊お気に入りを選んで感想を書きました。一番人気は『注文の多い料理店』だったようです。 

 

           

 

『よだかの星』 ブルック 美良

 私は『よだかの星』を読んで、悲しくて複雑な気持ちになりました。私もよだかと同じような体験をしたことがあります。オーストラリアの小学校に編入した頃、私は他の人と馴染むことができず、一人だけ浮いていました。よだかはいつも自分自身を否定し、周りから精神的なダメージを受けていました。その時の私とよだかは同じ気持ちだったと思います。

 幸運にも、今の私は友達に恵まれ、楽しい日々を送っています。よだかは周りに認められず、さぞかし孤独だったと思います。よだかは最後にきれいな星になりますが、一人でかがやいて本当に幸せなのか、よだかに聞いてみたいです。

 

『注文の多い料理店』 池田 里奈

 私が宮沢賢治の数多くの本の中からこの物語について感想を書こうと思った理由は、この話しの進め方にあります。「次に何が起こるか分からない」というワクワクした感じが好きでした。

 この物語は、二匹の犬をつれて狩りにきた来た二人の紳士が、山の中でまよい、ぐうぜん見つけたレストランに入ることから始ります。そのレストランは、実は山猫のわなで、あやうく山猫に食べられそうになるところで、二匹の犬に助けられる有名な物語です。

 私はこの本を読んで考えたことがあります。まず、物語の初めに、二人の紳士が「何でも構わないから、早くタンタアーンと、やってみたいもんだなあ。」なんてことを言っていました。このことから、二人の紳士は動物の命を大切にしていないと思いました。だから、山猫が西洋料理店山猫軒というレストランを開いているふりをして、二人の紳士をだまして食べようと思ったのは、二人に仕返しがしたかったんだと考えました。山猫たちは、命を大事にしない二人の紳士に対して、「それはいけないことだ、こらしめてやろう。」と思って山猫軒を開いてだましたのではないかと私は思います。

 この本を読んで、私は宮沢賢治の気持ちがわかりました。それは、動物を大切にしないと仕返しがくると言うことです。だから私は動物の命を大切にしています。

 

『セロひきのゴーシュ』 池原 基海

 この物語は、活動写真館(今の映画館)でセロをひく係のゴーシュのお話です。ゴーシュは仲間の楽手の中ではいちばん下手でした。町の音楽会へ出す曲の練習でも楽長にひどくおこられて、一人になった時には泣きました。しかし、その日から家にセロを持ちかえり、毎日明け方まで練習をしました。練習の間に、いろいろな動物がやってきて、その動物のお願いに答えながら、ゴーシュはいろいろなことに気づきます。

 ぼくがこのお話で好きだったところは、たぬきの子が来たところです。たぬきの子は、小だいこの係だと言ったので、ぼくはたぬきの子が自分のおなかをたたくんだろうと思ったのに、たたいたのはセロのこまの下のところだったので、ちょっとつまらないなと思いました。でも、ゴーシュは楽しんでいたようだし、自分が二番目の糸をひくときに音がおくれるということに気づき、何が悪いのかもいっしょに考えてくれたので良かったと思いました。ゴーシュは、動物に協力してもらい毎日練習をしている間に、セロを引くことが楽しくうれしいことになったように思いました。

 毎日練習をがんばって、音楽会は大成功し、ゴーシュのがんばりが楽長や仲間にみとめられて本当によかったです。

 

『注文の多い料理店』 宮村 奏太

 二人の若いしんしが、おなかがすいたので料理店に入ります。ぼくは、へんな所に料理店があるなと思いました。玄関には西洋料理店と書いてありました。中にはドアがいっぱいありました。ドアにはそれぞれ注文が書いてありました。そのうちの一つには、「つぼの中のクリームを顔や手足にすっかりぬってください。」と書いてありました。ぼくは、なぜ料理店でクリームをぬらないといけないのかなと思いました。二人の若いしんしも不思議に思ったけどぬりました。

 本当は、このお店は二人がごはんを食べる店ではなくて、二人が山猫に食べられる店でした。でも、食べられそうになった時、二匹の犬が助けにきてくれました。ぼくは、この場面が一番好きでした。

 

                 

『注文の多い料理店』 柄本 愛育

  旅先で道に迷った二人は、頼りになる、白くまのような犬を亡くして心細かったでしょう。だから、料理店を見つけたときは、きっと美味しい物を食べて体を休められると思ったでしょう。しかし、二人はとびらに書いてある字の意味をかんちがいして店に入ってしまいました。

 ぼくは、ニガクリームを顔や体にぬる時から、なんだかおかしいなと思いました。最終的には、そのねこのような生き物に食べられそうになり、顔がまるでくしゃくしゃの紙くずのようになりました。でも、死んだはずの白くまのような犬がなぜか生き返って助けてくれました。これは現実的ではないと思いました。

 「注文の多い」と聞くと、お客さんがたくさん注文する美味しいレストランと思いますが、この料理店はその逆で、注文を出すのはレストランで、最後にそのお客さんを食べようとするおそろしい場所でした。

 ぼくは、宮沢賢治のこの代表作が大好きです。

  

『注文の多い料理店』 上中村 樹利亜

  「なんて恐ろしい話しなんだろう。」母と兄に勧められた宮沢賢治の本は、二人のハンターが山の中のレストランで動物達に食べられそうになるお話です。

 人間は生活の中で、動物を当たり前の様に殺して食べます。それは、私たちが生きていく為の食料ですが、他の食品で代替が出来ることをヴィーガンの友人から知りました。彼女がスリープオーバーに来たとき、肉を食べないと聞いて私はびっくりしました。私は肉が大好きです。でも確かに、食べられる牛や豚の気持ちを考えるとかわいそうだと思いました。誰だって食べられたくないはずです。

 私も友達を見習って、フルーツと野菜で食事をしましたが、やはり物足りなかったです。大好きな豚カツやステーキを止められそうにありません。せめて、命をいただくという気持ちを込めて、食事の前には必ずこう言っています。「いただきます。」

 

『セロひきのゴーシュ』 サング ルーベン

  宮沢賢治が書いた『セロひきのゴーシュ』を読んで、実に不思議な思いをしました。

 この話のいいところは、擬人化などが沢山使われているので、場面を想像しやすいことです。さらにわくわくする場面もありました。例えば、「トランペットはいっしょうけんめい歌っています。」の文章には、トランペットは実際に歌っていないけれど、いい音が出ていることが分かります。これは話を面白くしてくれます。 

 僕がこの本を読み始めた理由は、音楽に興味があるからです。僕が面白く感じた場面は、ゴーシュさんがセロを家で練習するときに、動物の病気を治すところです。最初ははっきりと説明していなかったから、少し疑問に思いながら読んでいたけど、最後の方は疑問が解けて内容が分かってきました。

 とても心に残った場面は、オーケストラの演奏の後に、ゴーシュさんがソロでセロを演奏したところです。なぜなら、以前はセロを弾くのが下手だったのに、ソロで演奏した時はうまかったからです。努力がみとめられる場面です。ゴーシュさんの家に患者がいっぱい来て、セロで動物の病気を治すことが練習になりました。最後に、患者を心の中で感謝したことがとてもよかったです。

 宮沢賢治がこの話で何を僕達に教えたいのかはあまり分かりません。でも、僕は「努力すればなんでもできる」ということを、宮沢賢治は言いたいのではないかと少し考えています。一番好きな本ではなかったけど、不思議な話だったので、楽しく読めました。

  

『注文の多い料理店』 稲井 樹音

  私は宮沢賢治の『注文の多い料理店』を読みました。この物語は、とても不思議でおもしろい話でした。面白かったので、あっという間に読みました。

 私は、主人公の二人が山猫軒というレストランに入って、いろんな注文をされても言われるままで、何も気がつかないなんて変だなあと思いました。私は、「つぼの中のクリームを顔や手足にすっかりぬってください。」という注文が一番変だと思いました。そんな注文をするレストランはどこにもないと思ったからです。

 紳士達は、白くまのような犬に助けてもらったおかげで、山猫に食べられずにすみました。でも、山猫を怖がっていっぺん紙くずのようになった顔だけは、東京に帰っても、お湯に入っても、もとの顔にはもどりませんでした。私は、紳士達は山の動物たちをころしていたので、このような目にあったのではないかと思いました。私は、これからも動物を大切にしたいです。

  

『やまなし』 青柳 朝陽

  宮沢賢治は童話作家詩人で有名です。その代表的な作品の一つが『やまなし』です。やまなしという果実は、熟すとヨウナシと同じようなやわらかさと味と香りがします。ゴルフボールより少し小さめです。大きさは、3センチから大きくても8センチほどです。

 ぼくは「やまなし」を読んで、とうじょうじんぶつクラムボンにきょうみをもちました。さて、クラムボンはなんでしょうか?泡は死にますか?泡ははねますか?泡は笑いますか?冷静に考えると、まずありえません。これでは、泡や光、魚やら、蟹たちにとってありふれた諸々のものをクラムボンとわけのわからない名前で呼ぶ意味の説明がつかなくなります。クラムボンはかぷかぷ笑ったということは、泡が泡をはいているということになります。それもまたありえません。ぼくはクラムボンは魚だと思います。なぜなら、魚ははねるし、死にます。そして泡もはきます。

 やまなしを読んで、いろんなむずかしいことばとか、よくわからないぶぶんが多く出てきて、すごくふしぎなだと思いました。ぼくは、日本でやまなしをいつか食べてみたいです。

 

『注文の多い料理店』 寺澤 博貴

  ぼくは『注文の多い料理店』を読みました。最初はふしぎな話だなと思いました。小さいころ、お父さんがねるまえに読んでくれました。

 一番ふしぎに思ったことは、いきなり犬たちがあわをふきながらきぜつしたところです。それから、とつぜんレストランがあらわれて、しんしたちがそこに入ったことです。レストランでは色々な注文がありました。「じゅうをおいてください。」とか「くつをぬいでください。」というのはふつうだと思いました。でも、「ふくをぬいてください。」とか「しおを体にぬってください。」と言ったときは、おそう式の後やおはかまいりの後にやるやつだと思いました。どうしてレストランでやろうんだろうと思いました。

 最後にしんしたちを山猫からたすけたのは犬でした。どうして生きているんだろうと思いました。でも、犬がかい主を助けたのは感動的でした。これがぼくのかんそうです。

 

 

              ​​

 『やまなし』 板東 龍星

  幻灯、水銀、底光り、居すくまる、かばの花、金雲母、達眼鏡、やまなし、金剛石。おまけにクラムボン。僕の知らない言葉が次から次へと出てきて、まずはこれらの言葉を調べることからスタートした。何回も読み直した。心の中で読んだり声を出して読んだり。

 僕は、クラムボンはうなぎの稚魚だと思った。僕は、かにのお兄ちゃんの気持ちになって考えてみた。弟と楽しい気分で、うれしそうに泳ぎ回るうなぎの稚魚を見ていたのに、一匹のお腹をすかせた魚のせいでぶちこわされた。

 お兄ちゃんは、弟を守らなくちゃと思った。楽しい気持ちにもどそうとした時、何かが鉄砲玉のように飛び込んできた。魚は、青くてコンパスのように黒くとがったものをもっている何かにつかまっていなくなった。きょうふで声も出ず、居すくまる二匹のかにの気持ちを色にしたら、きっと真黒だっただろう。

 そこで、二匹のかにを助けてくれるのが、お父さんかにだ。お父さんは、青いものをかわせみという鳥だと教えてくれた。自分達は食べられないから安心するように子がに達に言った。僕は「うそだ!」と思った。なぜなら、かわせみは小さなかにを食べるから。恐い思いをした子がに達がますます恐くならない様に、お父さんがうそをついたんだ。やさしいお父さんだなと思った。うそをつくのは本当はだめなことだけど、子どもたちを安心させるためのうそならついてもいいんだなと感じた。

 話は五月から十二月になった。五月の話は、ドキドキしながら読んだけれど、十二月の話はほんわかした感じで読めた。月のきれいな夜に、かにの親子はぽかぽか流れていくやまなしの後を追って行く。学校が休みの時は、たまにスペシャルで遅くまで起きていていい時がある。そんな日はすごくわくわくする。子がに達も、夜の散歩を楽しんだんだろうな。

 いいにおいのするやまなし。熟しているので、子がに達はすぐに食べたい。なのにお父さんは、もう二日すればおいしいお酒ができるから待てという。僕だったら待ちきれずに食べてしまうだろう。かにの親子は家に帰って行く。きっと、二日後にまたここへ来ようと話しながら帰って行ったんだろう。僕だったら、二日後が待ち遠しくて、ずっとしゃべりっぱなしだろうな。

 『やまなし』の話は、川の中の様子がよくわかるように、いろいろな言葉が使われている。青白い水、青く暗く鋼のよう、つぶつぶ暗いあわ、日光の黄金、あわや小さなごみからはまっすぐなかげの棒、水はサラサラ鳴り、金剛石の粉、他にもまだある。作者の宮沢賢治さんは川の中に住んでいるんじゃないかと思うくらいすごい。僕も川の中にいる気分になれた。川の中に住むかにや魚達にも、僕達人間と同じ様に日々色々なことが起っているんだなと思った。

 最後に気になることが2つある。それは、なぜ『やまなし』というタイトルなのかということと、イサドへ何をしに行くのかということだ。イサドへいく話は、僕が書いてみようかなと思っている。

  

『やまなし』 マ 草太

  ぼくは、宮沢賢治という人はすごく意味の分からない本ばかり書く人だと思いました。

例えば、『やまなし』にでてくる「クラムボン」です。ぼくたちは授業で、クラムボンとは何かということについて話し合いました。ほとんどの人は、クラムボンはクラゲだといいました。なぜかと言うと、「クラム」のところがクラゲのニックネームで、「ボン」はクラゲの体がプニュプニュしているところからきていると思ったからです。

 それから、ぼくは宮沢賢治の話には、あまり人が出て来ないことに気がつきました。ほとんどが動物です。もしかしたら、宮沢賢治は田が好きで、生き物たちに毎日会っていたからかもしれません。

 この話はあまり面白くなかったです。

大空の架け橋 中学生の部 第11号 2015年度

 中学一年生のクラスより
 
 
担任:倉持一己
「僕/私の夏休み」
オーストラリアの夏休みは、クリスマス休暇を挟んで新年の休みと重なり、1カ月半に及ぶ長い夏休みになります。今年度の中学一年生は、休み中どんなことをしたり体験したりしたのか、その思い出を綴ってもらいました。皆さん、とても思い出深い休みを過ごしたようです。
 
 
キラコブスキー・ダニエル翼
僕の場合、「ぼくの夏休み」ではなく「冬休み」でした。なぜなら、寒い日本でお正月を過ごしたからです。
寒い思いをして、毎日、日本の中学校に通いました。たまにですが、母に車で送ってもらいました。中学校で新しい友達もでき、国語以外の教科は授業についていくことができました。
クリスマスは、例年に比べて全然寒くありませんでした。
スキーに初めて行きました。初めはおじさんと滑って、なかなかうまく滑れないのでイライラしましたが、スキー教室に参加した後は、うまく滑れたのでとても楽しくなりました。
そして、僕にとっては初めての悲しい出来事がありました。僕のおじのおじが亡くなり、お通夜、お葬式に出たことです。お通夜では、母のいとこと一緒に手伝って、お線香を絶やさないようにしていました。その後のお葬式では、骨も箸で拾って骨壺に入れました。
悲しい思い出です。
            ​​
 
 
 
 
 
 
 
利根川留果
毎年クリスマスは、同じように過ごします。お母さんと妹と私で、キャサリンの家に行って、クリスマスパーティーをします。
キャサリンは、補習校のクラスメイトでしたが、やめてしまいました。通っている学校も違いますが、私の母はキャサリンの母のレイコさんと仲が良いので、お互いの時間が合えば一緒に遊びます。
パーティーでは、レイコさんがポーランドのクリスマスの料理、ツエルブデッシ(十二種類の料理)を作ってくれます。料理の名前はわかりませんが、ビートルートのスープに、トウトリーニが入っている料理が一番好きです。トウトリーニは、パスタの中にヴィール(子牛)が入っているものです。デザートのマコービエッツは、レモンの皮のすりおろしとポピーシード(ケシの実)を巻き込んで、焼いてあるパンみたいなものです。
お正月には、毎年、キャサリンの家族のレイコさん、キャサリンと弟のクリスが、私の家に来てお雑煮を食べます。
キャサリン達は、あまりお雑煮が好きではないので、カレーも食べました。そして、食べ終わったら、一緒にゲームで遊びました。Wiiのコントローラーは、キャサリン達も持ってきてくれたので、キャサリン、クリス、私の妹と私で、「星のカービィー」や皆で遊べるゲームをしました。先に飽きたのは私の妹で、テレビでポケモンの映画を見始めました。キャサリンも飽きたようで、ポケモンを見に行きました。私は、クリスが日本語が読めないというので、画面の表示を通訳してあげました。少し後になって、私も飽きてきたので、ポケモンを見に行きました。クリスは、遊んでいたスターウォーズレゴに飽きてから、一緒にテレビを見に来ました。
夜には、カレーとシュウマイを食べて、みんなで力尽きて寝てしまいました。
 
 
山下多奈亜
今年、僕は夏休み中に日本に行きました。日本行のフライトは、ケアンズから成田まで7時間もかかりました。飛行機の中では何もすることがなかったので、機内にあるタブレットを使って、映画を見ていました。そして、新しくできた成田空港第三ターミナルに着陸しました。その後、その夜泊まることにした成田ホテルに行き、最初の一日が終わりました。
次の日、僕たちは成田から出て池袋に向かいました。途中で、明日行く予定の東京タワーが見えてきました。今夜泊まる池袋のホテルに荷物を置いてから、浅草にある雷門に向かいました。そこには色々な店があり、まるで市場のようでした。お店の奥まで行くと、大きな寺がありました。そこでお参りをし、セブンイレブンで東京スカイツリーのチケットを買い、ホテルに戻りました。
次の日、僕たちは朝一番にスカイツリーに向かいました。チケットを買った時、昼間や夜のチケットはすべて売り切れていたので、朝のチケットを買うしかなかったのです。僕たちは、エレベーターに入るまで5分くらい待っていました。エレベーターの中に入ると、そこは秋の木の葉模様になっていたので、すごくきれいでした。展望デッキまでつくと、僕はエレベーターから走って出ていきました。窓の外に見えたのは、東京の街すべてでした。ここからは、東京タワーまで見えました。
でも僕が一番初めに思ったことは、どうやって東京が70年間でこんな風にすごい街になったのかな、と言うことでした。原子爆弾の後、たった70年間でこんな大きな都市をどうやって作り上げたのかな~と思いました。それでも、風景はすごくきれいでした。スカイツリーを降りて、その後ホテルに帰り、また一日が終わりました。
その次の日には、東京ディズニーシーに行きました。すごく楽しかったです。
その後実家に向かい、そこでおじいちゃん、おばあちゃん、友達に出会って、学校に行ったり遊んだりして、6日間過ごしました。
それからオーストラリアに帰りました。
 
 
          ​​

 

中学二年生のクラスより
 
大志を抱き、道を拓く
担任 中島 信也
志を立てると書いて「立志(りっし)」。日本国内の中学校では、2年生になると奈良時代頃から行われている「元服(げんぷく)の儀」(女子は「裳(も)着(ぎ)」)にちなみ、一人の大人として自分の将来の志を立て、自立する年齢になったことを祝うため、言葉を変えると、将来の夢や希望、あるいは願いや目標に向かって歩き始める門出の日となるための「立志式」を執り行う学校が多いです。多くの人が将来を考える時に影響されるものに使命感や向学心、家庭環境などがありますが、中でも「人との出会い」がその後の人生に影響することは多いでしょう。みなさんがこれからも、多くの人との出会いや別れを繰り返す中で、知性を磨き、感性を研ぎ、体を鍛え、自らの人生を切り拓く力をつけていけるよう、そして尊敬する人物に少しでも近づけるように強い意志を持って努力してください。
「ぼくの前に道はない、ぼくの後ろに道はできる」 ~ 高村光太郎「道程」~
 
 
 
 
憧れの人
青柳 凪
 「憧れ」、そうなりたいと強く心をひかれ、そうしたいと望むこと。又、理想とする物事や人物に好意を持ち、思い焦がれること。「尊敬する人のようになりたい」という気持も憧れです。それに、貴方の憧れの気持が強ければ強いほど更に努力をしその上があるそうです。
 みなさんが今、趣味でしていることで目標や憧れの人はいませんか。私は、音楽の先輩に憧れています。昨年、卒業してしまいましたが、いつまでも一番に尊敬しています。
 この人は、何をしても優れています。音楽でも勉強でも、何でも完璧です。そして彼女は、誰にでも優しく、穏やかに話しかけてくれます。これは、もちろんどんな時にもです。いつも笑顔で、行動も明確です。彼女は、振る舞いも良く、平等にみんなに話しかけ、気品のある話し方をされています。
 私は、これから努力を重ね続け、この先輩のようになりたいです。いいえ、絶対になります。なりたいと思います。
 
 
僕が尊敬する人
池田 月秀
「プラモデルは、自由だ。」これは、僕が尊敬する川口名人と呼ばれている、川口克己さんの言葉です。
川口さんは、法政大学経営学部出身で、大学生時代に小田雅弘さんと高橋昌也さんと共に、モデラー集団「ストリームベース」を結成されました。「機動戦士ガンダム」に登場するロボットの模型をフルスクラッチ、つまり完全自作されました。また、模型業界にも携わり、バンダイからそのプラモデルが発売され、一大ブームが作られました。こうしてガンダムのプラモデルが誕生したそうです。そして、1985年にバンダイに入社し、社員としてガンプラ開発に関わり始め、ついには、バンダイ側のガンプラ企画責任者として模型雑誌等で活躍されるようになりました。もし、この人がいなければ、今あるガンダムのプラモデルはなかったでしょう。
僕も川口さんのようにものを1から作り、そして新しいものを作ってみたいと思います。
 
 
努力がつなぐ道
長井 きらら
 「筋肉は裏切らない。」彼はそう言って努力をし続けています。そう話す私の尊敬する人は、知り合いの宇井悠馬さんです。彼は今、日本でジムのトレーナーをしています。少し前までオーストラリアに住んでいました。私は、宇井さんが様々なことに挑戦して、努力を積み重ねている姿を見て、とても彼を尊敬しています。
 宇井さんがオーストラリアに居る頃は、日本食店のシェフをやっていました。自ら自分の家でバリスタの練習をされていて、その頃から努力家だと私は思っていました。練習のために奥さんにコーヒーを飲んでもらったりして、今ではコーヒーアートも出来るようになられたそうです。それから日本に戻り、実家の電気屋さんで少し働いて、その後、ジムトレーナーになられました。毎日、食事制限をして、トレーニングをおこたらず、筋肉の勉強もして接客もされています。自分がやってみたいと思ったことは迷わずにされています。
 私は、常に努力しつづけている所がすごいと思っています。とても優しい人で、友達もたくさんいる人です。そんな所も尊敬しています。私も宇井さんのように色々な事に挑戦したいと思っています。
 
 
音楽を武器に
宮村 楓
 「音楽」と言う言葉一つでジョエーン・ライトさんの人生を表すことができます。この人が私の歌の先生です。
 ジョエーンさんは、ケアンズで一番のピアニストと言われるお母さんの指導で、ピアノ、ダンスと歌を小さい頃から習い始めました。中学2年生になると、ピアノで「オーストラリアン・ミュージック・イグザミネーション・ボード」という試験のグレード5に合格し、歌のコンクールや試験も受け、高校を卒業してからは、歌を真剣に学び始めたそうです。そして、オーストラリアン・ミュージック・イグザミネーション・ボードで「サティフィケーション・オブ・パフォーマンス」獲得されました。
 1994年にジョエーンさんは、ケアンズで歌を習いたい子どものために「ケアンズ・ヤング・ボイス」というプログラムを作りました。その後、彼女のお母さんの「コーラル・ソサエティー」にも入り、サウンド・オブ・ミュージックでは主役のマリアや、ファンタム・オブ・ザ・オペラのカーロッタなど、数えられないほどミュージカルに出演することができたそうです。
 私は1週間に4回、ジョエーンさんに歌や音楽を習っています。毎回笑顔で教えてくれる彼女を尊敬しています。私も「音楽を武器」に生きていきたいと思います。
 
 
私の尊敬する人物
ミラー星来
私の身近な尊敬する人物は、私の母です。私の母、ミラー美穂子は1971年生まれ、兵庫県神戸市生まれです。1997年にオーストラリアに引っ越してきたそうです。理由は「なんとなく。」だそうです。
母は当時、英語が全く話せず、某ハンバーガー店で注文したものと出てきたものが全く違うほど話せなかったそうです。その後、私の父と出会い、結婚したそうです。
 少し前になりますが、父はあまり慎重に考えず行動する人なのに店の経営を始めるといいだしました。私は、あわてて父に考え直したほうがいいと、何度も引き留めようとしました。しかし、父は全く聞こうとしませんでした。もちろん家族は全員反対でした。そこで、母が「私に任せなさい。」と言い、見事、頑固な父の考えを変えることに成功しました。私は、そんな機転の利くところを尊敬します。
どんなに頑固で話を聞かない人でも、うまく話術を駆使すれば和解できると知りました。私は母のように、話術を使いこなし、これから日本語を話せるようになりたいと思っています。
 
 
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中学三年生のクラスより    担任: 益宮純子
親子二人三脚でやっと辿り着いたバイリンガルへの道。
「道は、自分で作る。道は、自分で開く。人の作った道は、自分の道にはならない」
これから先は11人みんなそれぞれ違う道。
「為せば成る 為さねば成らぬ何事も」
前を向いて、自分の番をしっかり歩こう!
世界へ羽ばたけ!
そして、いつかみんなそろって笑って会えるといいね。    
 
 
「未来のぼくへ」
上中村 翔 
 
 「しあわせな人生を送っていますか。」まず、一番に聞きたい質問です。
未来のぼくは、きっと自分でビジネスを興して事業をしているだろう。今の時点では、具体的なビジョンは確立していないですが、これから大学選択する時にもっと絞り込んでいきたいと考えています。
ぼくは、今年の一月に十四歳になって、すぐにタックスファイルナンバーを取りました。なぜなら、公文で働くのに必要だったからです。去年の九月に公文の英語課程修了ができました。すると、公文センターからアシスタントとして生徒を教えるアルバイトを依頼されました。
ぼくにとって初めての仕事です。親からもらうお小遣いではなく自分の力で稼いだ貴重なお金です。今も週に二回ですが、一年近く働いています。仕事をして自覚したのは、自分は人に教えるのが好きな事です。
勉強の他には、空手道場でも子供クラスの指導を手伝っています。小さい子供達を教えるのは大変な事もあります。しかし、一生けんめい教えてあげるとなつかれてとても可愛いです。
「将来のぼくは、人に使われるのではなくて、自分のビジネスでバリバリと楽しく仕事していますか。」「休日には趣味の空出で汗を流して健康的な生活を送っていますか。」 もちろん、その時には黒帯をつけているに違いありません。
未来のぼくは、今のぼくよりも人間としての器も大きくなっていて強い男になっていると願っています。
 
 
 
「夢に向かって」
カデル アンドレア 蓮未
 
 「あなたの将来の夢は?」私は、そう聞かれるといつもはっきりと答える事ができません。
色々なことに興味を持つ私は、やりたいことを細かくしぼる事ができません。
でも最近は、英語と補習校で学んだ日本語を両方活かせる仕事ができればなと、思うようになりました。
 私が五年生でオーストラリアに引っ越してきた最初の頃は、日本以外の場所に住みたいと考えたこともありませんでした。
オーストラリアや他の国に住みたいとは思わず、日本に帰ることしか考えていませんでした。しかし、色々な場所を旅行し、そこの生活を味わい、色々な人と出会い話を聞き、違う価値観を知ることにより自分の考えが変化してきました。
さらに、自分の世界が広がって行く気がし、もっと色んな場所に行き、色々な人と関わり自分の知らない世界が見たいと思うようになりました。
それで、将来は、日本語と英語を使う仕事をしながら、色々な国や地域で暮らし、その場所の生活や言語を身につけ、自分の世界を広げて行きたいと思います。その為にも、今から色々な国について勉強しながら、やりたいと思う仕事を探していきたいです。
 
 
「補習校での思い出」
上田 咲季
 私は小学1年の頃から日本語補習校に通わせてもらいました。初めの頃はクラスに友達もたくさんいて、毎週補習校に行くのが楽しみでしょうがなかったけれど、後々何年か経っていくうちにどんどん友達が辞めていってしまい、クラスメートの数も少くなり、正直何回か「私も辞めたい、休みの日ぐらい普段よりも遅くまで寝て、友達と午前中から遊びたい。」と思った事もありました。
でも、今考えてみると補習校に通ったおかげで、途中で辞めてしまっていたら決して学ぶ事の出来なかった事が沢山あったのだろうという事に気付くことが出来ました。
 その中での9年間にわたって、私が唯一気遣うようになったのは「時間を大切にすること」です。
補習校は、たったの3時間ほどの短い限られた時間しかありません。新しい単元を毎週教わるのは結構難しいのですが、その短い時間内で、全力で学習する習慣が付いたおかげで、時間を大切にし授業にもっと集中することが出来るようになりました。また、理解能力が高まり現地の学校でもそれが何度も役立ちました。
 そして、現地の学校の子供達と比べたら、宿題の量は倍だし両方の勉強についていくのは大変な時もありましたが、宿題が多いのをわかっている上で前もって物事を始め、終わらせることが出来るようになりました。
「予め始めからできる事はやる。」と言うのが私の日常生活では当たり前になり、全ての事を早くから取り組むことが出来るようになりました。
 補習校を辞めずに通い続けた結果、将来的にも役立つスキルを得る事が出来ました。補習校をきっかけとし出会った友達との素晴らしい友情関係を思い出として残し、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。また、そんな長年通い続けた補習校を今年卒業する事にとても達成感を感じ嬉しいばかりです。一生に一度の最高な思い出が出来、本当に良かったです。
 
 
「未来の私へ」
ブルック 花
 「自分達は未来にどうなっているのか。」タイムマシンで尋ねてみたいですよね。
「職についているのか、お金持ちになっているのか、外見は変わっていたりしているのか。」色んなことを目的に未来の自分を一目でもみてみたいですよね。私もその中の一人です。
自分の未来予想図通りになっているか知りたいです。 理想の未来の私は、ちゃんと働いていて幸せな生活を送っていたら良いなと思います。そのためには、ちゃんと今のうちに努力を積み重ねて理想にたどり着けたらいいなと思います。
今まで怠けたあり、めんどうくさがりやの私ですが、今年からの目標はきちんとしっかり言われたことをやるということです。課題を提出前日までやらず、テスト勉強も怠けていましたが、これからはIB(インターナショナル・バカロリア)に入るという目標があります。
だから、そのために早めに課題を終わらせて、テスト勉強も一週間前からしたりして、きちんと勉強して高得点をとりたいです。
努力も、「塵も積もれば山となる」と信じています。
 
 
「将来はトンネルみたいだ」       
 藤井優佑
「将来、私にはこの作文を読む機会がくるのだろうか。将来望んでいる夢、仕事や生活にはありつけているのだろうか。」
それとも、未だ進路に悩んでいるのだろうか。
今、これを書いている私は、たくさんの感情やイメージが頭の中に溢れています。
今の私にとって、将来は希望と期待に満ち溢れる反面、遠く、暗く、先の見えない色んな道に枝分かれした長いトンネルです。そこで観られる景色はその時の自分にしか見えない、とってもスリリングと不安でいっぱいな道のりです。
 今、これを読んでいる皆さんは、私が何を言いたいのか分からない、と思うかもしれませんが、私にとって将来という言葉は大切で、深く大きな意味を持つ言葉です。 私は、純日本人でありながら、生まれも育ちも15年間オーストラリアです。二つの環境の中で育ち、多様でいろいろな文化に接し、学問、生活、そして経験を培うことができました。
 私がまだ幼い頃、父や母によく、私はものすごく恵まれた環境の中にいると繰り返し言われていました。そして、今ようやくその意味も少しずつ、理解出来るようになりました。
そこで今、私は思います。人は折角の恵まれたチャンスを逃しては、トンネルの中で間違った道を歩くだけでなく、将来の理想からどんどん離れていってしまうのだと思います。
だから今、この自分に与えられた大きなチャンスを生かし、私の人生の「トンネル」を灯りで照らし、自分の理想の道を切り開いて歩んでいきたいと思っています。
 
 
「十年後の自分」
池田隆介
 
「十年後の自分、いったい何をやっているのだろうか。」そう、僕はたまに思う。
その時、僕がどんな仕事をしていたいかと聞かれたら、まずテニスに関する事か、よく映画に使われるアニメーションなどを使う仕事と答えるでしょう。なぜ、二つあるかというと一つの仕事を失敗してしまったとしましょう。その時、もし僕が一つの仕事しか考えていなかったら、きっとどん底に落ちるにちがいありません。しかし、二つあればその道が開けることでしょう。テニスだって同じです。チャンスショットで決まる可能性は低い時もあります。その時のために前にでてボレーで決めるや、動きが読まれてしまった時は、違うコースを狙う事も必要です。このように、夢を一つより多く、または第二の刃を持つ事が必要だと思います。
僕が、なぜ映画に使われるアニメーションなどの仕事を選んだのか。あれは僕がまだ小学生の頃でした。あの時の僕はメカ系の動画などが好きでした。(今も好きですが。)六年生ぐらいになって、アイアンマンやパシフィックリム、ターミネーターなどの造りが細かい映画やユーチューブで見つけたガンプラのコマ割り動画を見た時興味が出ました。その後、僕はコマ割り動画などを作り始め、今の学校でアニメーション系の授業などを選択しています。
最後に、将来の夢はこれからも変わるかもしれない。
これから身につく新しい技術、夢。自分の未来はわからない。これからもそう思いながら生きていこうと思います。
 
 
「私の夢」
イースト賢
 
やっとここまできた、中学三年生。
中学三年生までずっと苦労して勉強してきました。時々、勉強の時間、泣く思いでしてきた事もありました。
僕の将来の夢はまだ決まってないけれど、将来何をやっても頑張る!と決めています。
夢を持つと前向きに生きられるけれど、様々な事をためして色んな経験をした方がいいと思います。
僕は、日本で生まれて四歳半の時にオーストラリアに引っ越してきました。それから、小学生の時父が僕にチェスを教えてくれ、父に勝つため学校のチェスクラブに参加しました。まだ初心者だったからみんなに負けてばっかりでしたが、頑張ってやっと父に勝つことができました。そして、トーナメントでは、五回勝って二回負けました。中学生になった僕は、ケアンズジュニアで一位になり、学校では有名人になりました。
また、僕はテニスがとても好きです。一週間に四回ぐらい練習をしています。現在、僕はたくさん練習をしたので、トーナメントレベルになる事ができました。この四年間で様々なライバルとゲームをして、頑張ってライバルに勝つことが僕のゴールです。この夏休み中も上手になるため、ほとんど毎日練習しました。すごいテニスプレーヤーになるには、毎日頑張る事だと思います。僕は、勉強もスポーツもできるようになり嬉しいです。
将来の夢は、まだ決まっていないけれど何をやっても頑張って諦めないようにしていきたいです。
 
 
 
「夢」
鈴木 萌
「卒業したら何するの?」これからよく聞かれる質問となる。
私は、大学に行きたいです。でも、正直どの大学に行き何を学びたいのかはまだわかりません。私の周りは将来何をしたいのかもう決めた人達が多いです。
それで、私と一緒に二人で未来の事を相談しました。相談した人とは、幼馴染で親友です。
彼女の将来の夢の話を聞いているうちに「あっ、私もそれしたいな。」と影響された事がありました。
例えば、大学を卒業して日本に住む、それとも大学に行く前に一年間休むなど他にも色々ありました。
ある日、友達が私に提案しました。「萌って旅行に行くのが好きだよね。それなら、空港で働けばどうかな。」これを聞いた時、私は納得しました。
確かに私は、旅行に行くのが好きで空港やどこかのエアーラインで働けばチケットが安くなります。私にとっては理想的な仕事です。でも、この仕事をするのにはお金をたくさん稼がないといけません。そのためには、大学に行って空港で働く前に別の仕事をしないといけないと、私はそう思いました。
これが、私の将来の夢です。問題は大学で何を学ぶのかです。これが決まっていないため、今は学校で良いOPをとって大学で学べることの選択肢を増やします。これは、今の目標で目指しています。そのうちに大学で学びたい事が浮かんでくるかもしれません。
「卒業したら何したいの?」この質問をされたら私の答えは、「大学に行く前に一年間休んでお金を稼ぎます。」です。
 
 
「僕の最新で最大の思い出」
楠本 良太
 2015年12月12日、僕は、石川県の小松にある松井秀喜ベースボールミュージアムをおとずれました。
小松駅からタクシーに乗りました。運転手さんは、けわしい顔で初めはこわく見えたけれど、実は親切な人でした。なぜなら、ミュージアムに着いた時、メーターを止めて後ろにある松井秀喜さんの家まで回って見せてくれたからです。
 ミュージアムは、田んぼの中に建つ白い洋館で、松井秀喜さんのお兄さんが設計したそうです。中学生の入場料は、たったの百円で安くてびっくりしました。ミュージアムに入ると、まず松井選手の銅像がありました。そして、生まれてからの写真や野球に関係した物がたくさんかざられていました。少年時代からメジャーリーグ引退までの実際に着ていたユニフォームを全てかざっていたのがすごいと思いました。
 僕が一番興味を持ったのは、ニューヨークヤンキーズ時代の部屋でした。チームメンバーのサイン、旧ヤンキースタジアムの土、スタジアムの椅子、松井選手の使っていたロッカーまで。どうやってアメリカから持ってきたのか不思議でしたが、松井選手のすごい所だと思いました。そして、ガラスケースの中にかざられていたのは、チャンピオンシップリング。そのリングは、ワールドシリーズで勝ったチームのプレーヤーしかもらえない貴重な物でした。他には、ガラスで出来たバットなどめずらしい物もありました。おもしろいのは、小さいころに書いた絵や作文もあった事です。
 最後におみやげを見ていたら店員さんが、なんと松井選手のお母さんで、一緒に写真をとってもらう事ができました。
この事は、一生忘れられない思い出となりました。
 
 
「はじめ」
ドーソン里佳
 
全ての出来事には、いつも「はじめ」がある。自分が最初に話した言葉とか初めての仕事とか新しい友達など。全てには「はじめ」があります。私は、この「はじめ」の気持ちやその時学んだ事はとても大事だと思います。なぜなら、その瞬間は体の全てを使った勇気と一生懸命努力した経験の結果だからです。そして、その経験はいつかいい思い出になります。
私にとっての大事な思い出は、ハイスクールに入った初めての日の出来事です。ハイスクールに行った初めての日の朝、新しい制服に着替え、兄と一緒に学校へ向かいました。学校で兄と別れた私は、ヒュー・オーブライアンセンターへ向かいました。そこには、私の学年の生徒達がたくさん集まっていました。胸がドキドキしました。それは、私の目の前にこれから五年間も一緒に学校生活を過ごす皆がいたからです。八時五十分。もう授業が始まっていました。でも、どうして私だけ教室の中に座っていないのか。そう、ちこく。
私は大きな学校の中で迷子になってしまっていたのです。あちらこちらを走り回りましたがなかなか教室がみつかりません。
「いそいで、いそいで。」ろうかを歩いていた先生に言われて、Eブロックへ行きました。そこには、ドアの前で立っている先生がいました。
「ちこくしてすみません。私は、迷子になってしまいました。」
「そこで、待て。」と先生は言いました。最初の日なのに、もう怒られてしまった。
「どうしよう。」と、心が沈みました。先生から嫌われてしまったのかと思いました。最低な初めての日。
ワクワクの気持ちから、ドーンとした沈んだ気持ちになりました。そして、やっと教室の中にいれてもらえました。次の教室に行ったら、知らない人ばかりがいて教室を見回すと私と同じような人、教科書を持ってポツンと立っている女の子がいました。話しかけようと傍に行きましたが、声が出ず少し迷った後、無意識に肩をたたきました。緊張していた私は「こんにちは。」とだけ言いました。その女の子とは、今でも友達です。
何事にも「はじめ」があります。ハイスクール初日の経験は、ワクワクと緊張の混ざった気持ちでしたが勇気の力のおかげで、困難を乗り越える事ができました。これからも、勇気を持って前に進んで行きたいと思います。
 
 
「九年間の思い出」
森本 美輝
 遅刻したり、先生に叱られたり、赤猫テストで0点をとったり、休み時間に消しゴムでファイトゲームをしたりして、色々な思い出や面白い経験をした補習校。一年生からずっと九年間補習校に通いました。一年生のクラスは、二クラスある大人数の学年でしたが、今は十一人しか残っていません。そしてそのメンバーは、みんなとても個性的な人ばかりです。
私は、今年十六歳になり、あとほんの二カ月で中学校を卒業します。今、思えば私が一年生の時からずっと、補習校を早く終わらせたいという夢が、いつのまにかそこまでたどりついている事に気がつき、言葉では言い表せない気持ちでいっぱいです。
 一年生の初めの頃、私には友達がいませんでした。また、私のオーストラリアの学校から来ている友達もいませんでした。だけど、クラスはいつも賑やかでした。一年二組だった私の担任は、のりティー先生。特に珍しい思い出はありませんが、いつもみんな笑っていました。
 三年生になると、授業中に少しクラスの緊張感が出てきました。それは、恐らく担任の陽子先生のお陰だからだと思います。厳しい陽子先生から、とてもたくさんの事を学んだのを覚えています。でも、学年末テストは本当に難しかったです。授業の後、私達はよく休み時間になるとクラス全員でよく鬼ごっこをしました。サンパシフィックのビル内をあちらこちらに十二人の三年生が走り回っていたから、先生から怒られても仕方ない。それが、また面白かったです。
 五年生になって、私は少し勉強をし始めました。それは、クラスメートの良太君とはるき君と三人で、一緒にテストの結果を「1,2,3」でぱっと見せ合いをするようになったからです。点数を見せ合う相手ができると、やっぱり少しだけ真剣になりました。面白いのは、みんなぎりぎり一点か二点の差で勝ったり負けたりするからです。たいした点数ではなかったのですが、とっても面白いバトルでした。この学年の時の楽しい思い出が今でもたくさん残っています。平瀬先生にも感謝しています。
 六年生から中一まで、またいつの間にか人数が減ったりしましたが、新しい友達もできました。それでも、クラスはいつも通りに盛り上がっていました。すごく珍しいのですが、男子よりも女子の方がうるさくなってきた感じです。
 中学二・三年はとても気楽な雰囲気になりました。中島先生の授業は、ちょっと変わった先生の昔話やアンケートをしたりするので面白かったです。こんな思い出を振り返ってみると、卒業するのが嬉しいけど、ちょっと悲しい気もします。これまでの補習校を「やれ!」と言った母に感謝しています。
 クラスのトップではなかったですが、二ヶ国語を話せるのはとても大切な事だと思うようになりました。これからも違う言葉や色々な事にチャレンジし続けていきたいです。お世話になった先生方や両親に「ありがとう。」と言いたいです。

    

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<編集後記>
本年も力作が揃い、全校作品を一番に読ませてもらう幸運に接して、嬉しく思っております。 例年全校生徒からの提出がありましたが、今年は『できない』『(子供が)やらない』『やらせなくともよい』 という保護者の判断で、未提出生徒が出てきました。 足並み揃えて全員同じことをさせることが困難な、個人主義の時代の意識が強くなってきたと感じる他、補習校は、選んで通う学校であり、各家庭の意志で辞めることも自由ですので、作文一つとはいえ、強制はできません。 ただ、やはり教育の場であるかぎりは、その方針を尊重する姿勢は大切かと思います。
 
作品には、生徒一人一人の個性が溢れ、全てが味のある内容となっています。 どの作品を読むにつけ、その子なりの考えや思いに、それぞれ感慨に浸れます。
 
紙と経費の削減を目的に、昨年度より、ウェブ掲載になった『大空の架け橋』は本号で11年目を迎えました。 できることなら冊子で配布が理想ですが、今回もウェブ掲載です。 しかし、昨年の作品は、既に探せなくなっていて、ウェブ掲載も良し悪しですね。 残念です。
 
その理由や、一番慌ただしい年度末に編集する、教師たちからの意見もあり、『大空の架け橋』は、今号で一旦休止することになりました。 その代わり、毎月の『補習校だより』は、更に充実した内容でお届けする予定です。
毎月の、クラスごとの報告、お便りを、引き続きお楽しみ下さい。
 
ケアンズ日本語補習授業校
キャメロン紀子

補習校だより 2月

 

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三年生 担任  ウォリス 依子
 
 3年生では4学期に「ことわざ」について学習しました。
 
 授業ではことわざと意味を正しく書きながら自分の「ことわざ辞典」をノートに作成しました。さらに、その日に習ったことわざを実際に家庭でも使ってみるということにチャレンジしました。
 
 昔の人が生きていくうえでの知恵や教えを表現したことば。「若いときの苦労は買ってもせよ」ということわざに、子供たちは「え~、何で~っ!」と受け入れ難かったようですが、苦労は後で必ず役に立つという教え。まずはやってみるのもいいですね。
 
 そして、ことわざを少しずつでも普段の日記や授業の課題、会話などで使っていくとますます表現の幅が広がるでしょう。何事もちりも積もれば山となる、これもまずはやってみるといいですね。

2年1組の教室から

担任 長谷川るり子

2年生は、『お話のさくしゃになろう』で自分でお話を作り、はじめ、中、おわりのまとまりに分けてお話を書くことに挑戦しました。「はじめ」と「おわり」は教科書の絵に合わせてお話を書き、「中」でどんな出来事がおこるかを考えました。同じ絵をもとにお話を書きましたが、一人一人全く違う登場人物、設定が出てきて、個性あふれる作品になりました。そしてお話に合う絵も自分で考えてかきました。以下に3名の作品をご紹介します。 

『にじの国の虫』        佐々木梨奈

佐々木梨奈1   

 シムシムは、にじの国にすむ小さな虫です。シムシムは食べることが大すきな男の子です。

 佐々木梨奈2 

 ある日、シムシムが食べものをさがしていると、かなしそうなちょうを見つけました。「だいじょうぶ。どうしたの。」

と聞くと、

「おなかがすいてうごけないの。」

と、ちょうが答えました。ちょうの名前は、チョコチョと言います。いっしょにレタスとマンゴーを食べました。

佐々木梨奈3 

 それからシムシムとチョコチョは親友になって、にじの公園であそんだり、食べものをさがしたりして、なかよくシムシムの家でいっしょにくらしました。

 

『みほちゃんのおでかけ』    スミス桜

スミス桜1

 ある日、みほちゃんは、お友だちのてんとう虫ちゃんの家に行きました。

「何する。」

と、言いました。

スミス桜2 

 てんとう虫ちゃんの家で、川でおよいで、なわとびをして、雲を見ていたのです。おうちへ帰る前に、てんとう虫ちゃんがあめを一つあげました。

スミス桜3

 みほちゃんは帰って来たら、本当につかれていました。

「またあした、てんとう虫ちゃんの家へあそびに行きましょうね~。」

 だけど今はねる時間。

 

 

『きれいなにじ』   モール海七

モール海七1

 ある日、こっちゃんが木のあなから出て来て、てんとう虫ちゃんと川におでかけに行きました。

 

モール海七2

 こっちゃんとてんとう虫ちゃんがお出かけしている間、雨がふりました。雨がふった後、きれいなにじが出てきました。お花もいっぱいさきました。

 モール海七3 

 にじがきえた後、家へ帰りました。家に帰ってとてもうれしかったです。こっちゃんは雨が大すきです。 

1年2組の教室から 2015年11月

 
『さんすう 大すき!?』  担任:キャメロン ノリティ
 

 集中力も、理解力もあり、素直で熱心で、文句なしのにっこり2組からの最新のクラスだよりです。 

算数のお勉強で、計算問題を解くことはとても大事です。 特に、いわゆる義務教育の中で学習する算数、数学は、生活していく上で、大変役に立ちます。

数学的思考、という言われ方を、一般的によく聞きますが、計算にかかわらず、何かの問題を、どこから手を付けて、どういう手順で進めていくのが一番合理的か、もしくは解決に導き易いか、大勢の納得、賛同を得られるか、これらは、経験、知識は言うに及ばず、大いに数学的思考に基づくものです。

算数嫌いな、最初から苦手意識を持っている人たちは、答え重視を先に置くのでなく、その過程、考え方、解いていく手順を、楽しんでみては如何でしょうか。

計算ばかりの算数の時間の中でちょっとブレイクタイム。 かたち遊びは、毎年人気の時間です。 形だけでなく、色でも想像力が広がり、忙しい補習校のお勉強の中で、大好きな算数の時間となりました。

 

 

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1年1組の教室から

一年 一組                 担任 平島 まゆみ
一組は 作文を 書くことに 力を 入れています。
「しらせたいな、 見せたいな」 の授業では 知らせたい物の絵を描いて 特徴を 書き出し、読む人にわかりやすい様に文章を作りました。 点や丸を使ったり カタカナで 書く字に気をつけたりして 書ける様に なりました。

『しらせたいな、 見せたいな』

くわばら まや

わたしは、 きんぎょをかっています。
あかちゃんだから、なまえはないです。
わたしのさかなは、七せんちです。
ながいしっぽを もっています。
はやくおよぎます。

 

あらい かいと

ぼくのうちに  マイロといういぬがいます。
けは、 ふわふわでちゃいろです。
みみはちいさいです。 はなは くろです。
ほんとかわいいです。
ごはんをたべるのは はやいです。

 

でしゃくん すみれ

わたしは、おたんじょうびにローラー
スケートを もらいました。
えがついています  テインカーベルの
えです。すごく、たのしいです。

 

ダグン けいれん

わたしは、ピンクの バイクを もって います。
まえのタイヤは 、大きくて 、うしろのタイヤは、小さいです。                                                                                         

 

 

中学3年生 国語のクラスから

指導: 平瀬健一 

中学3年生は男子5名、女子6名の合計11名が所属しています。長年、お互いに学び合う仲ということもあり、阿吽の呼吸で、75分間、楽しく授業を進めることができます。担任として、このすばらしい生徒たちと学び合うことができて、とても幸せに感じます。 

<期末テスト>

 8月15日に国語の期末テストを行いました。60分という長丁場でしたが、時間ぎりぎりまで一生懸命取り組んでいました。試験中、一切、私語がなく、日本の中学校と同様の良い緊張感で試験に臨んでいた姿がとても頼もしく思えました。試験終了後には、「60分、あっという間だった。」「もうちょっと時間が欲しかった。」と、悔しそうにしていた姿も印象的でした。テストの結果も大切ですが、60分間精一杯取り組んでいたことも、担任として、とてもうれしく思っています。期末テストでできたところだけでなく、できなかったところもしっかり反省して、次につなげてほしいと思います。 

<中3の授業風景と生徒のつぶやき>

 中学3年生のクラスは、休み時間は友達同士のおしゃべりで盛り上がります。しかし、「起立」「礼」「着席」の号令が終わり、漢字小テストが始まると、一人ひとり気持ちを切り替えて、集中して取り組むことができています。漢字小テストが終わると、教科書の学習が始まります。一人ひとり、教科書を音読する活動をほぼ毎週、必ず取り入れています。週に1回という限られた時間ではありますが、日本語を正しく読む時間もとても大切にしています。難しい漢字も多く、読めないものが出てきたときには、教師だけでなく、そばにいる友達もさりげなくフォローする場面もあり、とても心強く感じています。教師の質問に対して、こちらの想定を超えた様々な意見を発表してくれます。そして、あっという間に下校の時間を迎えます。濃密な学習によって、生徒だけでなく、私自身も心地よい疲れが残る素晴らしい半日です。 

 ある日のこと、「中学3年生になってからの国語の授業は、考えさせられる単元が多いよね。」というある生徒のつぶやきが聞こえてきました。「うん。確かにそうだね。なんでだろう?」というしみじみとしたつぶやきが別の生徒から返ってきました。確かにその通りで、中学3年生の国語では、私たち大人でも考えさせられる単元が多いのです。(実は私自身が一番学んでいるかもしれません。)物語文を例にとってみても、『握手(井上ひさし 著)』『高瀬舟(森鴎外 著)』『故郷(魯迅 著)』など、深い内容の単元がほとんどです。しかし、これらの物語などをクラス全体で読み解いていく中で、補習校卒業後における人生の荒波を、うまく乗り越えていけるヒントがたくさん隠れていることに、ほとんどの生徒が、少しずつ気が付いています。今後とも、この調子で国語を学び続けてほしいと願っています。